小さな幸せを大切に


by pureandstyle

12年

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12年。(以下長文です)





今日は母の命日でした。
12年経ちました。干支を一回り過ぎたことになります。
でも今も、母を思い出さない日はありません。

以前も書いたことがあったかも知れませんが、ずっと胸に刺さっていることの1つが、母の最期に立ち会えなかったことでした。
容態が悪化したことを聞き、数週間前から当時住んでいたロンドンから日本に一時帰国して病院へ通っていたのですが、娘がまだ1歳で毎日病院に長時間連れていくことが難しかった為、父や姉と半日交代や1日交代で病院へ行っていました。
12年前の今日は、午前中に父が病院へ行くことになっていました。ですが、朝の7時頃に、何故かふっと今すぐ病院へ行きたいと思いました。
「今日は、やっぱり私が行こうと思うんだけど」そう父に言ったのですが、今朝は自分の番だからいいよと言われ、何か胸に引っ掛かるものがあったものの結局そのまま父が病院へ行くのを見送りました。
母が亡くなったのは、その数時間後のことです。父がほんの一時、病室を出た時のことでした。母は一人で旅立ってしまったのです。

あの朝、あの時、何かを感じたのは、きっと母が最後に私を呼んでいたのだと思いました。
猛烈な後悔が胸を襲いました。後悔しても後悔してもし切れない程悔やみました。
あの時、父が何と言おうと病院へ行っていれば、母に会えたのに。何度もその時のことを思い、心の中で母に謝りました。でも幾ら謝っても、幾ら後悔しても、あの時に戻ることは出来ません。

12年経ってもその後悔の思いが薄れることはなかったのですが、今年の6月にある文章と出会いました。
批評家の若松英輔氏が日経新聞に寄稿した「彼女」というコラムです。(今も日経電子版では読めます)
5年前に旅立たれた奥様との別れを書かれていたのですが、奥様は亡くなる前日に呼吸困難で病院に搬送された時、殆ど口が聞けない中でお母様に疲れるといけないから今日は一旦家に戻って明日また来て欲しいと言われたそうです。でも「明日」は来ませんでした。奥様は、自分の最期をお母様に見せまいとされたのです。
夫婦二人きりになった後、奥様は酸素マスク越しに「ごめんね。少し疲れちゃった」と言われたそうです。奥様が亡くなられたのは、それから3時間も経たない内だったとのことでした。

視界がぼやける目でそのコラムを読みながら、母のことを思いました。
母は、辛いとか苦しいとか、そういったことを私の前では殆ど言わない人でした。最後の数週間は意識が混濁していましたが、娘や私が病室へ入るといつも意識を取り戻し、にっこりと笑ってくれました。

12年前のあの日、もしかしたら母は、自分の最期を誰にも見られたくなかったのかも知れない。
若松氏のコラムを読み、初めてそんなことを思いました。もしそうだとしたら、あの日の朝に呼ばれた気がしたのは、母が病室ではなく自分の家までやって来て、私に最後のさよならを言ってくれたのかも知れません。
自分よがりの勝手な想像ですが、そんな思いが胸をよぎりました。

あの時、母は、何を思っていたのかな。
今も消えぬ後悔と共に、そんなことを思う9月13日です。
Commented at 2015-09-14 16:12 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by pureandstyle at 2015-09-14 21:37
>鍵コメントさま
温かいお言葉、ありがとうございました。(涙)
おっしゃる通り、最期はその人の生き様が現れるものなのかも知れません。
母はあの時、どんなことを思っていたのだろうなと思います。年を重ね、辛いことにも全て意味がありその後に繋がっていると思えるようになりましたが、母が早くに旅立ってしまったことだけは今もどうしてなのかと思ってしまいます。
余命宣告よりずっと長く頑張った母でしたが、それでも早過ぎる旅立ちでした。娘の成長をもっと見せたかったと心から思いますが、天国から見てくれていると信じたいです。

by pureandstyle | 2015-09-13 18:56 | Family | Comments(2)