小さな幸せを大切に


by pureandstyle

10年目

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10年前の9月13日。





一昨日(命日付のポストにしたかったので13日の日付にしていますが、実際にこれを書いているのは15日です)は母の10回目の命日でした。
10年。10年ひと昔。1 decade。
長い時間が過ぎました。でも10年経った今でも、母のことを思い出さない日は殆どありません。

丁度ここ数日、親子の関わりを描いたエッセイを読んでいました。
分かる分かる、と何度も電車の中で相槌を打ちながら読んでいたのですが、読み進める内にふと大きな疑問が心の中に湧き上がって来ました。
私は、実は母のことを全然分かっていなかったのではないか、と。

母と私はとても仲がいい親子でした。
特に最期の十数年は、親子でありながら一番の親友でもあるような、とても近しい関係でした。一緒にランチやディナーへ行ったり、買物をしたり、海外旅行へ行ったり。娘の出産直前にロンドン行きが決まり、出産前後に実家で過ごした数ヶ月と、ロンドンに同行してくれた母と共に過ごした2週間は、今となってはかけがえのない思い出です。

母とは沢山のことを話しました。
楽しかったことは勿論、辛かったことも、悩みも話していました。母からも、良いことだけでなく、日常生活の愚痴や、病への悩みや不安も聞いていました。その度に同調し、励まし、元気づけようとしていました。
でも母が旅立った後、母が最も仲が良かった友人や母の姉妹から話を聞き、また母が当時記していた日記を読み、母は一番辛いことは私に話していなかったことが分かりました。ロンドン行きが決まった時、もうすぐ生まれる初孫とすぐに離れることになり、自分の命に限りがあることに気付き始めていた母は誰よりも辛かった筈なのに、私には一言も言いませんでした。母に辛い思いをさせて申し訳ないと思っていましたが、私が思っている以上に、その何倍も、何十倍も、母は辛かったのです。ロンドンでの滞在を終えて一人帰国する時も、母は涙一つ見せませんでした。でも成田へ向かう機内では、きっと一人涙を流していたに違いありません。法事や母の看病で一時帰国をした時もそうでした。もっと居て欲しいというのは父で、母は一言も私達を引き留める言葉を口にしたことはなく、早くロンドンへ帰りなさいといつも言っていました。それが本心でないことは分かっていましたが、私が思っていた以上に、母は悲しみを隠していたのです。
病についても、不安を口にすることは何度もありましたが、辛いとか苦しいとか、泣き言を言ったことはありませんでした。母は物凄く我慢強い人だったので、本当は凄く痛いこともあったでしょうし、辛くて堪らないこともあったと思います。私も母が何も言わないから辛くないと思っていた訳ではありません。でも病は気からと信じていた私は、とにかく母を元気づけ、励ますことしか頭にありませんでした。大丈夫、きっと良くなるから。病室で何度もそう言って手をさすり続けました。馬鹿げたことですが、母の掌の生命線に必死で指で跡をつけて伸ばそうとしました。大丈夫。きっと治るよ。ほら、生命線がこんなに長いんだから。

でも、今になって思うのです。
あの時、もっと母の気持ちに寄り添えたら。母の苦しみを、もっと分かってあげられていたら。
今更そんなことを思っても仕方がないし、母もそれを望んではいないでしょう。それでも、母を思う度に後悔ばかりが胸に押し寄せます。

母は、私に対して何かを求めることがありませんでした。
ああしなさい、こうしなさいと言われたことは殆どありません。昨日読み終えたエッセイには、私達世代の親はとかく自分が思う理想のレールに娘を乗せようとするといった旨が書いてありましたが、受験の時も、大学の学部を決める時も、社会人になる時も、母にこうしなさいとか、こっちの方がいいんじゃないと言われたことは一度もなかったように思います。(忘れているだけかも知れませんが)自分が思うようにすればいい、と思ってくれていたのだと思いますが、そうは思っていても、大なり小なり、子供にはこうなって欲しいという思いや夢が少なからずあるものです。(と自分が親になって思います)母は、私に対して、どんなことを思っていたのでしょう。残念ながら、今となってはそれを確かめる術はありません。

すみません、すっかり長くなってしまいました。
10回目の命日を迎えて、つい悲しいことばかり書いてしまいましたが、心にあるのは悲しみだけではありません。自分が親になって、母がどんなに愛情を注いでくれていたか、子供のことを思ってくれていたかを日々強く感じています。

沢山の悲しみと、沢山の後悔と、そして何よりも沢山の感謝を。

たった1年半しか、この世では見届けることが出来なかった孫の成長を、天国から母が見守り続けていてくれることを祈ります。
Commented by パチ子 at 2013-09-16 11:57 x
私はおばあちゃんっ子だったので、読みながら祖母と重ねていました。
来年10回目の命日になります。
一人暮らしを始めるまでの26年間、寝室は祖母と同じ部屋でした。
いつまで経っても眠りにつかない隣りの布団をみて
勉強しながら机に突っ伏す私を、起こしにきてくれるのも祖母でした。
最期は病院のベッドの上でしたが、やはり沢山の後悔が残っています。
私も、何でも決めてから事後報告の娘でした。
ほんとうに有り難い事だと、大人になってからつくづく思いますね。
オリンピック招致の佐藤真海さんのプレゼンで
「大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではない」
というようなことをおっしゃっていました。
教わった事や思い出は、失ったものではなく私たちの中で生きている
持っているものの一つですね!
Commented by pureandstyle at 2013-09-16 21:21
>パチ子さま
お祖母様は来年が10回目の命日なのですね。
26年間寝室が同じでいらしたとのこと。本当に沢山の思い出がおありのことでしょう。
パチ子さんは心優しいお孫さんだったに違いないと思いますが、それでも後悔は残るものなのだろうなと思います。私は母に全然親孝行が出来なくて、やっとこれからという時に旅立たれてしまったので、ただひたすら後悔が残るのみです。
佐藤さんのプレゼン、いいお言葉でしたね。きっとお祖母様から受け継がれたものや思い出は、パチ子さんの中で生きているでしょうし、これからも多くの場面でパチ子さんを励まし続けてくれるのだと思います。私も年が過ぎれば過ぎる程、母が私にくれたものの大きさや尊さを感じます。
思い出を胸に、これからもお互い頑張っていきましょうね!
by pureandstyle | 2013-09-13 22:00 | Family | Comments(2)